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感動!420キロノンストップマラソン

      2010/04/06

ウルトラマラソン・420キロをノンストップ75時間で完走した男の物語 | Excite エキサイト : ニュース
420キロ、つまりフルマラソンの10倍の距離をノンストップで走った男のニュースです。

30歳の誕生日に人生を振り返った男が居た。この男の名前はディーン・カーナゼス。彼は何かが足りないと気づき、友人たちと酒を飲んで騒いで家に帰ると、ふらついた足で庭仕事用のスニーカーに履き替え、そのまま走り出した。彼は徹夜で48キロを走ったのだ。

すさまじすぎる。

「マラソン10回分を一度に走ったら、どうなるか知りたかったんだ」とカーナゼスは言う。

マラソン1回分でどうなるかも知らないです。はい。
「どうなるか知りたい」、こういう好奇心・探究心で物事を始める人は多いですよね。そしてそれをやりきった人にはこうやって栄冠が待ってるんだなぁ、と。

「携帯電話とクレジットカードだけをもってナパ・バレーを走るんだ」クレジットカードは、走っているうちにカロリーを消費しきってしまった場合に食料を調達するための備えだ。

必要最低限なのものだけを身に着けて走る。かっちょいー。

「僕が一番気に入っているのは、真夜中ににピザを注文することだね。ピザ屋に電話して、時間と場所を指定して、そこに持ってきてもらう。僕は時間きっかりにそこを目指して走る。すると出来立てピザにありつけるというわけだ」

聞けばご本人は会社経営をやっておられるということで、こういったリスクというか緊張感みたいなのが好きなのかも知れません。ベストセラーに躍り出た「ダーリンの頭ン中」でもこういったテンションの話が出ていました。
「ダーリンの頭ン中」 小栗 左多里/トニー・ラズロ :mono->log*netjinsei
かつこの方にとって、経済的には損にも得にもならないあたりが逆にお気に入りなんだと思います。正味自分の力だけが頼りで、自分の満足だけが報酬だ、という。

ウルトラマラソン・420キロをノンストップ75時間で完走した男の物語
[ 2005年03月26日 15時21分 ]
仏モンブランを走るウルトラマラソン・ランナー、ディーン・カーナゼス(ロイター)
[ニューヨーク 25日 ロイター] 30歳の誕生日に人生を振り返った男が居た。この男の名前はディーン・カーナゼス。彼は何かが足りないと気づき、友人たちと酒を飲んで騒いで家に帰ると、ふらついた足で庭仕事用のスニーカーに履き替え、そのまま走り出した。彼は徹夜で48キロを走ったのだ。
48キロのランニングを成し遂げたカーナゼスは、160キロレースに目標を合わせた。そして210キロ、それから320キロ、さらに南極点を目指したマラソンとどんどん目標を高めていった。そして昨年の夏に、彼は422キロという通常のマラソンの10倍の距離をノンストップで完走したのだ。
「マラソン10回分を一度に走ったら、どうなるか知りたかったんだ」とカーナゼスは言う。「完走まで75時間かかったよ。そのうち20時間は雨が降っていて、コンディションは最悪だったね」
カーナゼスは、現在42歳。自然食品の会社をサンフランシスコで経営している。彼は「ウルトラマラソン・マン:コンフェッションズ・オブ・オールナイト・ランナー(オールナイト・ランナーの告白)」という自伝を書き上げたばかりだ。
彼のランニング人生は、実は幼稚園児の時に始まっていた。産まれたばかりの妹の世話で忙しい母親が、自分を幼稚園に迎えに来てくれないため、彼は家まで走って帰った。高校時代もランニング選手だったが、大学時代に走ることを辞め、再び走り始めるまでのおよそ10年間はまったく走っていなかった。大学を卒業してからは、製薬会社で営業をしていた。
「火付け役になったことかい?大酒飲んで酔っ払ったことかな」彼はジョークで答える。「大勢の友人とバーで飲んでいたんだよ。悩みなんかなかった。でも、人生のことを考えると急に胸が痛くなった。仕事にも職歴にも僕はあまり満足していなかった」
「その夜、歩いて家に帰り、庭仕事用のスニーカーを履いたんだ。ランニングシューズは持っていなかったからね。そして南へ向かった。ちょっとだけ小銭をポケットに入れて、徹夜で走ったんだ」
彼は毎週113~193キロ(70~120マイル)を規則的に夜通し走った。時には、子供を寝かしつけた後の金曜日の夜や、113キロ先の温泉地で翌朝、他の家族と落ち合う約束をして夜通し走った。
【走りながらピザを出前で】
「携帯電話とクレジットカードだけをもってナパ・バレーを走るんだ」クレジットカードは、走っているうちにカロリーを消費しきってしまった場合に食料を調達するための備えだ。
「僕が一番気に入っているのは、真夜中ににピザを注文することだね。ピザ屋に電話して、時間と場所を指定して、そこに持ってきてもらう。僕は時間きっかりにそこを目指して走る。すると出来立てピザにありつけるというわけだ」
本の中でカーナゼスは、最初に160キロマラソンに挑戦したときに味わった苦痛と疲労に関して詳細に述べている。このレースは、エンパイヤステートビルディングを15回上り下りするのに等しい、標高差11,580メートルにもおよぶ山脈地帯を走るという過酷なものだった。
「最初は本当に未知の長旅に出たようなものだった。走りながら自分で持ちこたえられるかわかならかったよ」重度の水泡がいくつもでき、足の爪がはがれ、一時的に目が見えなくなったりしたが、彼は完走した。
「ゴールラインを超えた時に、今まで人生を積み重ねながら気が付かなかった自分というものが、この21時間のランニングでわかったんだ」
次の挑戦は、217キロのバドウォーター・レースだった。このレースは、南カリフォルニアのデス・バレーを超えて米国本土で最高峰のマウント・ホイットニーまで走るものだ。レースは6月に行われ、気温は摂氏54度を超えることもある。
「走るときは、車道に引かれている白線の上を走るんだ。シューズが直接アスファルトに触れると、底が溶けてしまうからね」
その後彼は、320キロレースを完走。普通は12人編成のチームでリレーをしながら参加するところ、彼は一人で10年間に渡って完走している。そして2004年には、101キロマラソンを初めとして、遂に422キロのマラソン10回分にあたる距離を完走した。消費したカロリーはおよそ35,000カロリーだった。
【どうやって…そして、なぜ?】
カーナゼスは身長175センチ、体重70キロで典型的なランナータイプのやせ気味な体型ではないが、上半身が筋肉質で、体脂肪は5%以下、またバランスがよいために圧力による怪我が最小限に抑えられている。
米国では、80キロ以上走るいわゆるウルトラマラソンのランナー人口はおよそ12,000~15,000人だといわれているが、“世界記録”を更新するのは簡単なことではない。
「記録がちゃんと残っていないんだよ。でも、75時間というのは、今まで完走したなかでは、記録を塗り替えたんじゃないかと思う」記録ではないかと問い詰められて、彼はようやく認めた。
カーナゼスがいつも必ず聞かれる質問がある……それは「なぜ走るのか?」だ。
「それは人間の体はどこまで遠くに行けるのか、という究極の挑戦なんだよ」とカーナゼスは答えるが、妻の答えはもっとシンプルだ。「あの人を見ればわかるわ。すごく幸せそうでしょ」
[日本語訳・D姐]

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